チェフに感動 チェルシーへ感動の別れを振り返る


2004年7月、チェコ出身の22歳の青年はポルトでCL優勝の称号を手にいれたジョゼ・モウリーニョの希望で、700万ポンドの移籍金によってフランスのレンヌから約50年間リーグ優勝から遠ざかっていた西ロンドンにあるチェルシーへとやって来た。


加入当初、か細い印象の強かった青年はその年ブルースに50年ぶり2回目のリーグ優勝をもたらし、
1025分間連続無失点というプレミア記録を打ち立て、チェコ年間最優秀選手賞、UEFA年間最優秀GKを受賞し、わずか1年で「世界最高のGK」の称号を手にいれた。
彼がリーグ制覇をしたこの年は私まだ11歳だったが、サッカーの雑誌で「ペトル・チェフは最強のGK」というコメントを見たことを今でも覚えている


196cmという恵まれた体格を活かしたセービング技術と正確なクロス処理に加え、優れた俊敏性を武器に至近距離のシュートに驚異的な反応を見せる。彼が1つミスをすると記事に載るくらいに、ミスの少ないパーフェクトなGKだった。


2006年にレディングとの試合で負った頭蓋骨陥没骨折によりヘッドギアの着用を余儀なくされた。
当初は着用を嫌がっていたらしいが徐々に彼のトレードマークとなり、スタンフォードブリッジでの最後の試合までヘッドギアを着用し続けた。


恩師モウリーニョがブルースを去った2007年から2014年までに優勝1回、2位2回、3位3回、6位1回、CL制覇1回、そのほとんどのゴールマウスには彼が立っていた。
歓喜の瞬間も、苦しい時期も、歴史的な瞬間にも常に最後尾からチームを支え続けた。


2014年にはベルギー代表GKティボー・クルトワがアトレティコでのリーガ優勝を引っさげブルースに凱旋。モウリーニョはGKのファーストチョイスにチェフではなくクルトワを使い続けた。
悲運にも10年前彼をロンドンに連れてきたモウリーニョによって、10年後彼は居場所を失った。


そして2015年6月29日、同じロンドンの強豪アーセナルにGKとしては破格の、33歳としては異例の1100万ポンドで移籍した。
約11年に及ぶ彼のチェルシーでの物語はついに幕を下ろした。




最後に彼が自身のTwitterで語ったこの11年での想いで締めくくります


チェフ
「この日が来るとは思わなかったが、チェルシーに別れを言うときが来た。2004年7月に加入してから常にこのクラブのために生きてきたし、いつかここで引退することを考えていた。だが、人生とは考え通りにはいかないものだ」


「個人的に、チェルシーに関わるみんなに感謝したい。選手、スタッフ、監督、コーチ、全員と仕事が出来たことを嬉しく思う。彼らがいなければ、私たちはここまでの成功を収めることはできなかっただろう」



「一番大切なことは、チェルシーのファンに感謝したいということだ。私はみんなのために全てを出し尽くし、みんなは私に愛情を寄せてくれた。決して忘れることはないだろう。永遠に私とともにある。
 また君たちとは会うことになるが、その時僕は反対のゴールにいるはずだ。僕たちの歴史を思い出し、僕の新しい冒険が始まったことを理解してほしい。チェルシーの新しいシーズンの成功を願っている。11年間本当にありがとう」




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