親愛なるルーカスへ 〜All you need is Leiva〜

たぶん今回は長いです。リヴァプールとルーカスに興味がない人には拷問です。


リヴァプールファンの皆さんお待ちかね、我らがルーカス・レイヴァの特集です!

皆さんもちろんルーカスのことは大好きですよね?
私だけじゃないですよね、、、?ルーカスがグレミオから移籍してきたときに歓喜に包まれたのは私だけじゃないですよね?ルーカスの話で1週間は寝ずに話せるのは私だけか、、、。


中学生の頃からプレミアリーグを見始めた私は、当時はユナイテッドやチェルシーがリーグを牛耳っており、チャンネル加入のお知らせのための電話番号やURLが画面の右下に表示されてジャマだなあと思いながら深夜2時頃からテレビを見ていたのが懐かしいです。
あの表示本当にジャマなんですよね。電話をすれば表示が消えると書いてあったので電話したことがあったのですが、綺麗な声のオペレーターさんが「ご加入ありがとうございます」とか言ってきて困惑して速攻で電話を切りました。結局学生になって一人暮らしを初めて某スポーツ番組に加入するまで右下の字幕を気にしながらの生活をしていましたね。


さて、私がプレミアリーグを見始めた当時はたぶん07−08から09−10シーズン辺りだったと思うのですが、リーグにはスター選手が多くいました。
ユナイテッドにはロナウドやライアン・ギグスが
チェルシーにはランパードやドログバやアネルカが
アーセナルにはファン・ペルシーやセスクがいましたね。


ところで当時のリヴァプールのメンバーを覚えているか記憶を辿ってみようと思います。懐かしい面々に想いを馳せて見てください。
GKペペ・レイナ、ジエゴ・カヴァリエリ、イタンジュとか
DFスティーブ・フィナン、ジャイミー・キャラガー、ダニエル・アッガー、アルバロ・アルベロア、グレン・ジョンソン、マーティン・シュクルテル、ソクラティス・キリアコス、アンドレア・ドッセーナ、エミリアーノ・インスーア、ファビオ・アウレリオ、フィリップ・デゲンとか
MFスティーブン・ジェラード、ハビエル・マスチェラーノ、スティーブ・ペナント、シェイ・スピアリング、ヨッシ・ベナユン、マキシ・ロドリゲス、アルベルト・アクイラーニ、クリスティアン・ポールセン、ヨヴァノビッチ、ナビル・エルザル、アルベルト・リエラとか
FWピーター・クラウチ、フェルナンド・トーレス、ライアン・バベル、ディルク・カイト、ダビド・ヌゴグ、クリスティアン・ネメト、アンドレイ・ヴォロニンとか


懐かしいですねえ。もしかしたら何人か忘れていたり、すでにいなかったかもしれませんが、勘弁を。


さて、当時私がテレビの前で憧れていたプレーヤーは同世代のサッカーファンの友達とは少し異なる傾向にありました。
友達がロナウドやフローラン・マルダやアネルカのドリブルについて、ジェラードやランパードといった英国のスターについて、ドルグバやファン・ペルシーのストライカー象について話しているときに、
「ねえ、ミケルこの前よかったね」
「ハーグリーブスまた怪我したんだって」
「アレックスソングはいい選手になると思うなあ」
「パーカーはあの地味さがいいんだよ」
と連呼していたのは私です。
いわゆるアンカーや潰し屋と言われる選手たちです。
今なら当時の私の少しズレた嗜好がよくわかりますが、あの時は本当にこのポジションの選手が好きだったんです。ブスケツが出て来たときはまあ騒ぎましたね。
なぜなら、当時私は部活で左のウイングやサイドハーフでプレーしていました。幸いにも50m走を6秒前半で走っていた私は子供たちの中では比較的足が速かったのでこのポジションをしていたのです。でもサイドの選手ってめちゃくちゃスタミナが必要で本当に毎日しんどい練習をこなしていましたから、別メニューでパスを回したり1対1ばかりしているボランチの友達が羨ましかったんです。
無難にボールを捌いたり、中央からあまり動かずアタッカーが来たら身体ぶつけたり、ゴールを決められなくてもそんなに責められない。
今ならこのポジションの選手たちの重要性であったり難しいところが分かるのですが、当時は比較的ラクなポジションという目で見ていました。(ごめんK君、T君)
だからテレビの前のアンカーの選手たちを見て、「こういうラクなプレーをしたいなあ」とか「俺でもこういうプレーなら出来るかも」とか思っていました。


そんな当時の私の前に現れた一人の選手によって、私のリヴァプール愛そしてアンカーへの偏見はより加速します。

やあ、ルーカス!元気かい?マージーサイドはいい天気だね!from LFC TV


マスチェラーノやシャビ・アロンソが去ったリヴァプールはグレミオから獲得した若いブラジル人をこの時期から多く起用し始めます。叔父のレイヴィーニャが元フットボーラーであるサラブレットのルーカスは加入当初からイタリアのパスポートを保持しておりリヴァプールにとっては扱いやすいEU選手でした。
この約10年間の間にリヴァプールとルーカスは多くの指揮官を迎えて来ました。
ラファエル・ベニテス、ロイ・ホジソン、ケニー・ダルグリッシュ、ブレンダン・ロジャース、ユルゲン・クロップ。
グレミオ時代にはウーゴ・デレオン、マノ・メネーゼスに指導されました。
白人が人口の半分以上を占めるマットグロッソ・ドスル出身のルーカスはグレミオ時代にはより攻撃的な選手で、在籍した2年半で76試合8得点を記録しています。元々はフットサルをしていた選手ですしね。ちなみにリヴァプールでは公式戦約320試合に出場して6得点なのでいかにブラジル時代とプレースタイルが変わったのかが分かりますね。
グレミオでのデビューの翌年、19歳の頃にはブラジル全国選手権でベストイレブンに輝き欧州のあらゆるクラブがルーカスに熱視線を注ぎ始めました。


そういえば、ルーカスがリヴァプールに加入した2007年の写真を覚えていますか?

おおお、若い!ベニテスがルーカスをゲイバーに誘うオヤジに見えるううう。
私はルーカスの21番に憧れてチームでも背番号21をもらっていました。


デビュー年のFAカップにおいてアンフィールドで強烈なミドルを突き刺したルーカスにKOPたちはこの先のリヴァプールに明るい未来を想像したことでしょう。そしてこの歳にルーカスは20歳でセレソンデビューも果たします。おめでとう、ルーカス!
アンダーカテゴリーのセレソンではマルセロやダビド・ルイスやエルナネスらと共にプレーし、セレソンのトップ下のファーストチョイスでしたね。今では信じられない人選ですが。


加入の翌年、08−09シーズンにはルーカスにとって、そしてリヴァプールファンにとって忘れらない瞬間が訪れます。
皆さんはもちろん知っていますよね?
そう、ルーカスがプレミアリーグであげた唯一の得点が生まれたシーズンです!
3月のニューカッスル戦、このシーズンはリーグではわずか2敗で、首位のユナイテッドと4ポイント差だったリヴァプールは87分に決まったあのゴールを喜びました。
今日までプレミアリーグでルーカスの名前が歓喜と共に叫ばれたのはたぶんこの瞬間だけでしょうか、、、。それでもおめでとう、ルーカス!
ちなみにこのシーズン、ルーカスはFootball league cupとチャンピンズリーグにおいてそれぞれvクルーアレクサンドラ、vチェルシーで得点し、年間を通じて公式戦39試合で3得点でした。シーズン3得点はリヴァプールでのシーズンhighです!


ルーカスがリヴァプールでレギュラーポジションを勝ち取ったのは09−10、10−11シーズンでしょうか。09−10でアロンソが移籍し、10−11にはマスチェラーノがそれぞれ移籍します。なお、この間リヴァプールは何人かボランチの選手を獲得しますが皆1年でチームを去って行ったり、ルーカスの素晴らしい才能に絶望してホームシックになります。流石ルーカス!
まあとりあえず周囲は色々と変動しましたがこの2年間はルーカスにとって今後の方向性を決める重要なシーズンであり、辛い2年間でもありましたね。
アロンソとマスチェラーノを失ったリヴァプールが前年の2位から7位、6位と2年連続でヨーロッパの舞台を逃すんですからね。。。
この辛い2年間のプレミアリーグでルーカスは76試合中68試合に出場しています。
アロンソやマスチェラーノの面影と比較され続けたルーカスはある時はゲームメイクを、ある時は潰し役を求められました。20代前半だったルーカスが自身の得意とするプレーをさせてもらう余裕は当時のリヴァプールにはなかったんですね。
とにかく1ポイントでも多く稼がなければいけない。新加入組がなかなか成功しない。リーグで中々結果が出ない、そんなリヴァプールにサポーターはイライラを募らせていました。

当然ルーカスも批判の的になります。
パス精度が低い。ロングを蹴れない。体が弱い。判断が遅い。視野が狭い。ミスが多い。
あああ書いてて泣きたくなる。でもこんな感じでしたよね、当時ルーカスに充てられていた言葉って。
チームは成績が悪いのにジェラードの隣には何もできない若造がいる。こんな感じでしたよね。
ルーカスが愛するクラブに残るために自身のプレースタイルを変更して行ったのはこの時期です。ブラジル時代に武器だった攻撃のセンスではプレミアでは通用しない。2列目でプレーする見込みはルーカスには無く、残された武器は豊富な運動量と献身性でした。
ジェラードがゲームメイクをする後ろで運動量を生かして懸命にサポートをしてボールを渡し、サイドバックが上がったスペースを埋めるための動きや、決して優れてはいないフィジカルを駆使して中盤の底で相手のエースに食らいつくなど、この2年間の懸命な努力と方向転換でルーカスは徐々にスタイルを変更していきました。
結果的にこの2年間、09−10シーズンはプレーへの批判が多かったものの10−11は必要不可欠な存在として中盤の底に君臨しました。10−11シーズンはリヴァプールの年間最優秀選手賞を全体の40%以上の票を獲得し受賞しています。素晴らしい!


そんなルーカスはいくつかの怪我も経験しました。小さな怪我から大きな怪我まで。この「怪我」がルーカスのリヴァプールでの生活に様々な影響を与えます。
元々フィジカルにあまり優れないルーカスがガツガツとした激しいプレーをし続けたことも影響しているのでしょうね。ルーカスの離脱中は彼の重要性によく気付かされます。
組織的で、攻撃的なリヴァプールに守備を専門とした選手はあまりいません。走力やゲームメイクに優れた選手が中盤の底を担い、あくまで組み立てや前線への飛び出しに集中しているため、危険なエリアをカバーすることにおろそかになってしまいます。特にジェラードの明確なパートナーが不在の時期は、リヴァプールは中盤で相手の攻撃を止めることが出来ず失点を重ねていました。それでもルーカスが離脱している間、リヴァプールが同じスタイルの選手を獲得してこなかったのはとても嬉しかったです。リヴァプールの苦しい時期を経験して逞しくなったルーカスはチームから信頼される存在になっていたのです。


近年、ブレンダン・ロジャースやクロップなど、よりボールを保持するスタイルを好む監督がリヴァプールを率いるようになってからはルーカスの出番は減少していきます。
ロジャースはジェラードをアンカーにコンバートして成功させました。後にこのコンバートはジェラード本人からのリクエストがあったことも明らかになっています。
クロップは走力と献身性を備え、より攻撃的に振る舞えるミルナー、ヘンダーソン、チャンを重用します。専門家のルーカスの出番は主力の故障時や試合終盤の守備固めなどに限られていきます。
相次ぐ怪我でプレースピードが低下したように見えるルーカスは、中盤ではなく最終ラインでの起用もされ始めます。ルーカスがCBでプレーしているところを見るのはとても辛いです。中盤の選手がCBで成功するのはとても難しいです。ボールの持ち方、マークに行くタイミング、守備エリアのことを考えてもアンカーの選手とCBの選手は役割は重なるところがあっても、経験値の部分でどうにも適応するのは難しいです。
アンカーからCBへのコンバートに成功している選手といえばマスチェラーノやギャリー・メデルくらいでしょうか?パッと思いつく成功例といえば。
キャリック、ミケル、ソング、スヴェン・ベンダー、などもチームの事情でCBすることもありますが相手アタッカーの標的にされてしまいます。
ルーカスがこのポジションでたまに起用されるとショックです。


明るい性格で節度ある態度をとるルーカスはオーナーや代表、チームの上層部からも信頼されています。
ブラジル人を始めとする南米やラテン系の選手たちは加入後まずはルーカスと打ち解けることがチームでは恒例になっているようです。南米出身でヨーロッパで長くプレーするルーカスは、欧米選手と南米選手のはしご役を担っています。文化や言葉や習慣などの面で選手が早くチームに適応できるように最善を尽くすことをルーカスは当たり前のように行います。チームスタッフに任せるようなことでもルーカスはしてくれるのです。スアレス、ホセ・エンリケ、コウチーニョ、モレーノ、フィルミーノらも適応に際しルーカスが重要な存在だったことをコメントしています。ルーカスはよくリヴァプールやロンドンのブランド店に若い選手を買い物に連れて行き服を選んであげたりもするらしいです。いいねえ、ルーカスにコーディネートしてほしい。


現状クロップ体制のもとでは中盤アンカーのファーストチョイスにはヘンダーソンが全試合でスタメン出場しており、彼が故障した場合でもチームのポゼッションを優先するならばチャンやミルナーをチョイスするんじゃないかなと思います。もちろん、守備的に振舞う必要があるときはルーカスだけどね!!
限られた出場機会の中でもしっかりと準備して望む姿に若い選手は多くを学ぶ必要がありますね。
リヴァプール愛を貫くルーカスに今後も多くの幸せが訪れることを願っています。もしもいつかリヴァプールを離れる日が来たとしても何らかの形でこのチームに関わってもらいたい!そして出来れば苦楽を共にしたジェラードと共にね!



最後に、、、。

なんともキュートなルーカスのベイビーたちでお別れです!



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